2010年12月10日金曜日

戦前教育に逆戻りだ

戦前教育への逆戻りが、かなりの確率になってきています。都議会民主党にメールを送ると、SPAMメールの数が極端に上がるのは、そういう事だったのかもしれません。
東京国際アニメフェアに角川書店が反旗を翻したのは既報の通りですが、既に関連するアニメ制作会社などには参加取りやめの打診が言っている様です。また、これに同調するかの様に動き出したのが集英社。やはり関連作品のアニメ制作会社に出展取りやめの打診をしているそうですし、小学館及び講談社にも「概ね賛同いただいている」とした文書をコミック10社会に提出している様です。集英社そのものは東京国際アニメフェアの実行委員には名を連ねていますが、実際には出展していないので、アニメ制作会社を通じて意思を表すつもりの様です。もしも、小学館や講談社を始めとしたコミック10社会と、その関連作品のアニメ版を制作している企業が出展を取りやめると、ちょっと面白い事になるかもしれません。出展企業はまだ公表されていませんが、実行委員として名を連ねている企業で見ると、マジに半数以上がこれらの反旗を翻した企業と付き合いがある訳ですよ。現在の動きは出版社側に限定されていますが、この先に事業者連盟として名を挙げているアニメーション事業者協会/一般社団法人日本音声製作者連盟/一般社団法人日本動画協会/協同組合日本俳優連合/社団法人日本漫画家協会等がどう動くか、実際のアニメ制作会社の動き等に注目していたいと思います。ちなみに、今回はゲームも槍玉に挙がってますので、バンダイナムコ/コナミエンターテイメントの動きも楽しみです。
一方的に悪と決めつけて、話も聞かない様な輩が実行委員長として君臨している訳ですから、出版社/アニメ制作会社/ゲーム制作会社/事業者連盟等は参加を保留あるいは取り止めを検討してもいいと思ってます。ってか、むしろやってください。ただし、単に参加取り止めでは面白みもありません。そこで、出展を取りやめた企業あるいはコミック10社会が中心になって、同日に別会場で合同プライベートショーを開催してもいいのではないでしょうか?

2010年12月8日水曜日

運用の疑問

一般的な話ですが、何かを実行しようとしたときのフローチャートって、大雑把にではありますが、たいていはこういう風になるんじゃないでしょうか?

  1. 企画立案
  2. 企画内容評価
  3. 実施
  4. 達成度評価

つまり、最初に目的に沿った企画を出して、その内容が評価されて「イケる」と言う判断になれば、実際にそれを実行に回す訳です。ただし、最終的に当初の目的に対する達成度の評価がなされて、それが成功したのかどうかと言う最終的な判断になります。その結果は、次の企画にフィードバックされて行く訳です。達成度の評価と言うのは、客観的に企画が成功だったのかどうかと言う評価を下す訳で、もっと俗な言葉に代えれば「反省」になりますか。つまり、「この企画を実行した結果、昨年同期比で10%の売り上げ増」と言う具体的かつ客観的な評価を下して、次の企画へと繋いで行く訳です。これを青少年健全育成条例に当てはめてみると、実は4の項目がすっぽりと抜け落ちている事が分かります。具体的かつ客観的な評価が一切ない状態で次の企画が開始されるため、企画の正否の如何を問わず、企画立案を行なう者の独りよがりな発想で次の企画が進められる事になります。結果はご存知の通りで、この半年の間で立案された条例改悪案はすべて規制/取り締まりを前提として、どんどん厳しい内容に変わって行きました。次にくるのは、実写が規制対象にはいるとか、すべての犯罪行為が規制対象になるとかでしょう。条例に関して、この達成度評価を行う組織の成立と実施、及び中長期にわたる具体的な検証が必要になるはずなのですが、その点については条例には含まれていない事が既におかしいんですけど。規制派の人達にとっては、そんな組織があるのは邪魔になるだけなので、組み込まれないと思いますけどね。これが無い以上、改悪案はさらに厳しい内容になるでしょうし、この国はダメになって行く一方でしょう。
そもそも、都知事が差別的発言を繰り返して恥じないところがおかしいです。

差別的発言を隠さない人達

都知事の石原慎太郎と言い、副知事の猪瀬直樹といい、どうして規制にまわる人々はこうも差別的発言を繰り返して恥じる事がないのだろう?自分の意見と異なる者を劣る者、異常者と言う捉え方をするあなた方は、本当に優れた人なんですか?それとも、単に頭が硬直しているだけの老害なんですか?差別的発言を繰り返して恥じ入る事のない者が、公的機関の長として君臨している事は、果たして青少年の健全な育成に対して正しい事なのでしょうか?また、健全な育成のためには規制以外の手段がとれないんでしょうか?そんな事はないと思います。副知事って、漫画原作をやったり、コミック関連団体の元理事だったりしてますよね。それが読者を異常者と言い切る様な発言をするのは、あなたが原作を担当した作品を貶めてはいませんか?
ここのところ、いろいろと面白い話題がでていますが、特に面白かったのはTwitterの有吉弘行さんの「チンコたたなくなった腹いせに漫画を悪者にするのは辞めてください」とか、ヒラコーこと平野耕太さんの発言とか、東京国際アニメフェスに角川書店が不参加を決めたとか。特に角川書店は大英断だったと思います。そもそも東京国際アニメフェスティバルは都の主催によるものなので、ここに一方的に悪者に仕立て上げられようとしている会社が参加するのは、逆におかしな話なのかもしれません。できれば、昨年までに参加していたすべての企業が東京国際アニメフェスをボイコットして、共同でプライベートショーを展開した方がいいのではないかと思いますね。下手すれば、作品中のパンチラどころか、ミニスカでさえ規制されかねないですよ。東京国際アニメフェスでは。
彼の独裁者達は、現代の日本に戦前から戦中にかけて実際に行なわれた一方的な価値観の押しつけと言う思想統制を、現代によみがえらせよとしています。これがどれだけ馬鹿げた事なのか、もう一度考えて欲しいです。ダメかもしれませんが、それでも抵抗は続けます。これは私たちのリアル図書館戦争か、第二次ハレンチ大戦争なのですから。

2010年11月25日木曜日

誰も責任を取りたがらない時代

今はリアル図書館戦争か、第二次ハレンチ大戦争と言う感じがします。
都側は強制的に今回の修正案を成立させたい考えで、死にものぐるいでやってきています。その結果がこれ。委員への個人攻撃の文面であったとされていますが、終戦直後の教科書ですか?って言うくらいにきれいに塗りつぶされています。ここが本当に個人攻撃であったとしても、これだけ塗りつぶされていれば内容はわかりませんから、別のモノと解釈する事も可能な訳です。個人攻撃と言うのも、向こう側が勝手に解釈したモノで、実際には事実を述べているだけなのかもしれません。むしろ、こんな事をしたら疑惑と反感が増すばかりなのに、こういう事を堂々としてくるのは情報公開時代に頭がついて行かないのか、その程度の事すら想像できないくらいに頭が固かったのか。少なくとも、自分たちが反感を持たれると言う事が想像できないくらい、頭の中が凝り固まってしまっているんじゃないかと思います。もしくは、あの委員さんたちがしたいのは、結局のところ、こういう事なんじゃないでしょうか?とにかく都合の悪い者は隠す、隠蔽する、眼に触れない様にする、そこからあとの事は知らないけどって思ってるんでしょうね。どうせ、今までも誰も関連性を調査してない訳だし、これからも誰も調査しないだろうし、そこに数字なんてモノはあり得ないとでも思ってるんでしょう。情報を隠せばいいと言うモノではないし、先の尖閣諸島沖海戦の様に情報を公開する事で明らかになる事もある訳です。何しろ、尖閣諸島沖海戦のビデオを公開しなかった事を非難した都知事が、こういう事をしている親玉な訳ですから、こいつも信用なんか出来はしないって事です。
今の絶対的な状況から私が送れるメッセージはこれです。

「本施設よりこの通信を聞く『人間達』に最後の命令を送る
 抵抗し 義務を果たせ」

警察だって、何らかの罪が発覚しても罰せられずに終わる事が少なくないんですが、これはよほど青少年の健全育成には悪影響を及ぼすと思いますがねぇ。

2010年11月22日月曜日

小説が漫画より上って誰が決めたんだろう?都知事か?

理系人間である私から見た「青少年健全育成条例改正案」ですが、不思議に思う事が何点もあります。

この条例改正案の問題点は、基本的に3点です。第一に判断基準が曖昧であること。第二に評価とフィードバックがなされないこと。第三に、そもそも条例修正の要因となっている部分が現実的なのかと言う点です。

第一の点については、もっとも判断基準が曖昧だった「非実在青少年」の文言が外された分だけ、6月の提出時よりも具体的になったのは事実です。ただし、「性行為及び性行為類似行為」を「不当に賛美」すると言う判断基準に曖昧さが残っています。多分、大島渚監督の愛のコリーダの裁判を引き合いに出すまでもなく、猥褻の判断そのものが曖昧なのと同様に、「不当に賛美する」と言う部分が曖昧なままに残ってしまいます。人によって判断が異なる部分ではあるでしょうが、この点が具体的に線引きできない以上、公的機関による表現の自由の制限と受け取られてもおかしくはありません。その他、小説は対象外とか、同人誌は対象外等と個別に意見が出されていたのもおかしな話です。見せてはいけない作品であれば、表現形式がどうであれ、すべて遮断しろって言うのがひとつの方法論です。それをやると、都知事の作品も売れなくなる訳ですが。版権持ってる会社は、叩き返してやればいいと思いますけど。

第二の点については、物理/化学の実験に例えると具体的に分かるんじゃないでしょうか。物理/化学の実験では、ある理論に基づいた実験を行なった後に、それを評価して、理論にフィードバックして、新たな理論を元に再実験と言う手法を、ごく当たり前の様に行ないます。ところが、この条例の場合には青少年がどう言う「健全な育成」に至ったのかと言う評価は問題にされていないどころか、考慮すらされていません。言わば、ゴールのないマラソンを走っている様な物です。結果として、単純に規制だけが厳しくなって行くと言う一方向の道しかない様に見えます。「条例だからそれでいい」と言う意見もあるかも知れませんが、ゴールがないと言う事は無限に走り続ける事を意味し、規制に際限がないのと同義です。また、判断を下す側にも問題があり、判断が一方にのみ偏ってしまわない様にしなければならないはずなのに、現状は規制側の人間だけで判断しています。この点についても改正案では明言されていません。

第三の条例修正の要因は、心身が健常な状態ではない子供に、不健全きわまりない作品を見せてはいけないと言う点だと思っています。「作品」としたのは、漫画に限らず、小説や映画、動画等を含めての話です。小説等を規制の対象から外し、漫画だけを規制すると言うのは、一方的に漫画と言う形式を蔑んでいるだけの事です。そのために、子供に見せない様にすると言うのは至極当たり前の事ですが、現状の販売店でのゾーニング等で回避できていると考える事もできます。そもそも、このゾーニングによる販売抑制によって、本当に青少年が見ない(見えない)状態になっているのか、誰かが系統立てて調べているのでしょうか?誰も調べていないのであれば、それを根拠にする事は意味がありませんし、逆に無意味だと断定する根拠としても弱い物になります。また、漫画の影響で誰かに性的ないたずらをすると言った考え方は、マスコミ等で流された根拠のない「ゲーム脳」とか「テレビ脳」等のデマゴーグを思い起こさせます。そもそも、ここ10年程の犯罪白書を調べれば、未成年を含めた強姦事件は減少傾向にあり、いま、規制を強化しなければならない理由にはなりません。

今度ばかりはダメなのかもしれませんが、何もしないで白旗を揚げるのも目覚めが悪いので、精一杯抗ってみようかと思います。

2010年6月22日火曜日

誰が本当に卑しいのか?

今の石原都知事が独善的で、自分の意見に従わない物はすべて悪であるという考えでいる事はよくわかりました。なにしろ、「(規制対象として都が想定するような作品の作者は)ある意味で卑しい仕事をしている。変態を是とするような人間がいるから商品の需要もある」等という発言をされていますから。では、貴方が書いて来た小説はどうなんですか?って言う突っ込みが、そこら中からはいるというのは分かった上での発言でしょうか?自己反省もなく、自分の作品は小説だから問題ないと利益を確保した上で、他人がやっている事には口を出して非難をすると言う、卑怯者を絵に描いた様な独裁者としか言えないですね。貴方がやってきた仕事の成果がどれほど卑しい内容なのか、再考された方がいいのではないでしょうか?これ以上やるだけ、貴方は過去の自分を否定する事になるだけですよ。他人を貶める人は、他人から見下されるだけなんですが、石原都知事は既にその領域に入っていますね。他人がしている事を根拠もなく卑しいと言える人は、自らの精神の下碑た面をさらけ出しているのだと思います。ちょっと前の記者会見で、記者に「僕はそう言う(規制対象となる様な)漫画を読んだ事がないんだ、君が買って来て、僕にくれないか」等と言うやり取りがありましたが、これを見るにつけ石原都知事の卑しさが伺われます。そのくせ、都からでている質問&回答集の内容の矛盾については一切応えず、判断基準や内容が曖昧すぎる点についても言葉を濁す。私は、未だ質問&回答集についてまともな言及をした都知事の言葉は聞いていません。何よりも、この方は自分が謝らない。間違った時に、人に素直に詫びる事のない人間が、どうしてまともな判断ができるんでしょうか?
こんな人を、誰が信用するんでしょうか?信用している人がいるんでしょうか?信用していい人なんでしょうか?私にはそうは思えません。この人は、戦前から戦中の情報統制の世界に時代を引き戻したい、現代日本のもっとも忌むべき政治屋だと思います。


2010年6月8日火曜日

規制というよりもその先にある言論弾圧を避けるべき

何やら、またきな臭い状況になって来た様ですが、今回の条例について思っていることを書き出してみます。

まず、青少年健全育成条例そのものですが、前にも書いた通り、「どのような状態が健全な育成であるか」という定義がなされないままに、この状態を目標にしていることに疑問があります。未だ、「世界一高速なコンピュータ」の方が具体性があると言っても過言ではありません。条例そのものが曖昧なため、それを改正するにあたって誰も具体的なことを入れないというのがひとつの問題点であろうと考えています。もちろん、条例は曖昧を持って良しとし、運用で厳しく取り締まるというのは常套手段なのは言うまでもありません。

まず、この改正案について思うのは、恣意的な運用による言論弾圧という事態になりかねないという不安がもっとも多いのではないでしょうか。4月には質問/回答集が都からでている訳ですが、これは良し、これは良しというものばかりで、良しとした理由に具体性が欠けています。先にのべた曖昧さの結果ですが、「キューティハニーの変身シーンは良し」というのはいいのですが、それが良しとされた具体的な根拠は示されていません。逆に取れば、都側からこのような言い分がでている以上、それは改正案を恣意的に解釈して、運用していることになります。このような恣意的な運用が可能である以上、これ以上に恣意的な運用がされて行くのではないかと言う不安が残ります。また、示されている例は少なすぎて、どこまでが良いのかは運用まかせです。ちなみに、どの「キューティハニー」かと言う問題はありますが、設定年齢は16歳の未成年で、無免許でバイクを乗りこなしている、実に反社会的な存在です(笑)。「著作権の問題で、他は具体的に言えない」等と言うふざけた発言があったと記憶していますが、キューティハニーの使用権はとったのかと小一時間(ry…。

第二に、この質問/回答集ですが、ここで示された例は条文には反映されていません。従って、ここに記載されていることは、条文のみを見て運用する場合には何ら効力を持たないことになります。極端な話、担当者が変わったら、そんなことは知らないとなりますし、サイトから削除されれば、公式な記録としてはなかったことにもなってしまいます。つまり、都側から示された明確なはずの回答集にも関わらず、まったくもって信用できない状態にある訳です。

三番目に、「今回は小説は対象外」と都側から説明されてはいるのですが、条文を見るとそんなことは書いてありません。小説も印刷物やインターネットで閲覧可能な形式になっているため、条例の対象外ということではあり得ないはずです。ところが、何故「小説が対象外」となったか。単純に言えば、石原都知事のご機嫌伺い以外の何者でもありません。一説には、小説の場合にはイメージを描くために脳が活性化するという話もありますから、ストレートな絵よりも数段性質が悪いかもしれません。これもまた恣意的な解釈に基づく運用ですし、勝手に例外処理を行なったことも不信の原因の一つになっています。

4番目、この改正案を提出した方々にも問題があります。言動に問題がなければいいのですが、自分と意見が異なる人間を指して「遺伝的認知障害者」等と言うに至っては、お前の方がおかしいんじゃね?と思われて当然です。そう言う問題のある言動を起こす様な方々が原案を作った以上、それ自身が一方的な面からの意見だというのは火を見るよりも明らかって奴です。また、それを元にした案がまともなものと、誰が断言できますか?

以上の点から、この改正案が恣意的な運用を前提にしているのは明らかですし、賛成派はそれを目指していると考えられます。重要なのは、その先にある言論弾圧を回避することです。都という自治体が行なう以上、それなりに慎重になるべきなのですが、そう言う配慮が全くなされていないのがこの改正案の特徴です。

改正案の改正案が出される様ですが、これも極端には変わっておらず、文面をより曖昧にして、分かりにくくしただけの様に思います。